この集まりは、1996年年末の死刑執行を受け、本当にこれ以上執行させたくないそのために私たちに何ができるだろうか、と話し合う中から、うまれました。

さまざまな地域の方々が地道に(ときには派手なパフォーマンスも含め)それぞれ創意工夫をこらして運動を展開している、そのスタイルを見習いながら、私たちは処刑場を持つ東京拘置所周辺の地域運動として死刑廃止の声をあげていこうと思いました。

しかし「死刑廃止」を前提とすると、これからいっしょに考えていけるかもしれない人たちとの回路を閉ざしてしまいそうで「死刑について考える」会としたものです。

また、私たちの中にも、いきなり「廃止」とは呼びかけづらい、せめて「考える」ということであれば・・・という仲間もいます。
そして、綾瀬駅前でビラを配ることから始め、執行に抗議するデモや地域ビラ入れ、ミニ集会などを重ねてきました。

ビラ配布後にミーティングをもち、反省や次回の日程・ビラの内容等を相談していますので、意見や提案などもお待ちしています。
どうぞ、気軽に声をかけてください。

※X(Twitter)も行っていますので、こちらもよろしくお願いします。https://twitter.com/AyaseSobanokai


緊急声明!

法制審による再審法改悪に抗議し、議員立法による再審法改正の実現を求める声明            本文はこちら

お知らせ

2026年02月01日
『そばの会』のミーティング(死刑制度 井戸端会議)にご参加ください
2026年02月01日
過去のビラについて


1月のビラ №337(2026年01月24日)

再審法の改悪を止めよう

 2024年に袴田巌さんが58年かけて無罪になった時、無罪を勝ち取るまでの時間が長すぎると再審法改正の機運が高まりました。

昨年6月、議員立法により衆議院に「刑事訴訟法の一部を改正する法律案」が提出され、まさに再審法改正に直結する内容が継続審議中だったのに、通常国会冒頭の解散によって自動的に廃案になってしまいました。一方、再審制度の見直しを検討している法制審議会(検察官をメンバーに含む法相の諮問機関)の部会が、次の国会開会を待たずに120日、法務省内で開かれ、「制度改正」に向けた試案を提出しました。その内容を見ると、再審法は改正どころか改悪になりそうな状況です。

 再審の裁判を請求するには被告人の無罪の可能性を示す新証拠を提出しなければなりません。しかし証拠は検察に握られ、請求してもまず開示されません。袴田さんも決め手となる証拠開示まで40年かかっています。
 そして新証拠を提出し、裁判所が再審を認めても、検察が不服申立てをすれば、再審はかなり長引いてしまいます。

 大崎事件の原口アヤ子さん(98歳)も未だ再審が開かれていません。1963年に発生した狭山事件の石川一雄さんは冤罪を晴らせぬまま昨年3月、86歳で亡くなりました。
 日本では証拠の重要性よりも長期の身体拘束を含む拘留で追い詰め、自白に追い込む刑事司法が続いてきました。嘘でも強要した自白で起訴し、証拠やアリバイはきちんと精査されずにきたのです。そしてこれが冤罪の温床となってきました。

 戦後、内務省、特高警察、軍部は解体されましたが、検察はその人脈が戦後まで残り、戦前体制を作り上げてきたその人達が戦後の検察のトップを歴任しました。
 そして法制審議会では再審法だけでなく、さまざまな立法においても事務局案がほとんど変えられることなく国会に提出されてきました。再審法の改正に関しても国会で消極的な答弁を繰り返され続けてきました。
 その法制審議会における固定的なメンバー構成の一端を担い続けてきたのが検察官です。法務省に出向する検察官はエリートであり、検察のトップへのステップであり、出世コースです。利害関係の当事者で第三者と言えない検察官が立法にも参画することは三権分立から言えばあり得ないことです。これでは民主的な司法は生まれません。この異常ともいえる検察の強さを変えない限り冤罪が消えることはありません。
 袴田さんの無罪確定後に畝本検事総長が袴田さんを犯人呼ばわりしたことは裁判所、司法への冒涜であり、司法のトップに立つ人間として許されることではありません。そしてこのことが日本の刑事司法の問題を端的に現しています。
 昨年63人もの元裁判官が法制審議会に「改悪以外の何ものでもない」とする異例の声明を発表しました。

 先進国の中で例外的に死刑が残り、人権が確立されていない国、日本。再審法を変えることがこの日本の刑事司法を変革する大切な一歩になるはずです。(S)

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12月のビラ №336(2025年12月20日) 


「人権」、全ての人に平等であるべきもの

死刑は人権の基本である生命権を犯す人権侵害です。「死刑の廃止が人間の尊厳の向上と人権の漸進的発展に寄与することを信じ、死刑の廃止のあらゆる措置が生命に対する権利の享受における前進と考えられることを確信し」、国連は1989年の総会で死刑廃止条約を採択しています (202312月時点で90ヵ国が批准)。残念ながら日本は国連関連機関の死刑廃止に向けた決議や勧告に応じていません。

 日本においては死刑確定囚、その「加害者家族」(罪を犯した人の家族)に対するいじめ、中傷、差別、排除が後を絶たず自死を選ぶ人も多くいます。

★ オウム真理教事件(1995年) 元代表松本智津夫元死刑囚の三女松本麗華(りか)さん。麗華さんの映画「それでも私はThough I’m His Daughter」が上映され、本「加害者家族として生きて-松本智津夫の娘であること」がある。麗華さんは、住民票不受理、大学入学拒否(3校合格しても入学許可されず)、銀行口座は作れず、海外渡航は不可。11歳で事件に遭遇してからそれ以降差別、排除の攻撃を受けている。彼女に何の罪があるのか? 理由がない。


★ 和歌山市カレー事件(1998)の林真須美死刑囚(大阪拘置所在鑑・再審請求中)の長男の映画「マミー」、本「もう逃げない。いままで黙っていた『家族』のこと」。等々で事件後の社会の差別、いじめの実態が記されている。林真須美死刑囚の長女の母子投身自殺事件。宮崎勤埼玉連続幼女殺害事件(1989年)の父親の投身自殺。加藤智大秋葉原事件(2008年)の弟の自殺。数多くの痛ましい事例がある。マスコミからの攻撃、市民からの攻撃が耐えきれない中でのやむにやまれぬ行動だと思われる。自死した人を非難は出来ない。生きている限り差別排除が続き、取材陣に追われて生活が成り立たなくなる。犯罪に巻き込まれた人(加害者も被害者も)への包括的な支援体制が必要だと、今では「犯罪被害者支援センター」「相談窓口」が広がっている。


それにしても林真須美自宅への心ない落書きをする人は自らを恥ずかしいとは思わないのだろうか?残された子供に何の罪があるのか?そういう事をする自分をどう説明するのか?Xへの200件ぐらいの「死ね」という見えない悪意の投稿があったという(林真須美さん長男,月刊誌『創』参照)。


「家」の観念が支配してきた日本では「個」が確立していないことも一因だ(月刊誌『創』の編集長篠田博之氏)という。「個の確立」それも勿論だが自らの弱みの代償としてより弱い人間を攻撃し、悪いことをした人間やその家族には何を言ってもいいんだみたいな小さな快感を得ている人には「何が正しく何が悪いのか」を、考え続けてほしい。(T


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