今月の余談

今月の余談(2024年6月22日)

 6月のビラは私(T.K)が担当しました。ビラ作成の過程でいろいろ気づかされることもありましたので、その裏話としてお読みいただければ幸いです。
 死刑制度を維持する理由として政府は、(内閣府が)5年毎に行っている死刑制度の是非に関する世論調査を重要視しています。それはビラ本文にも書いた通りですが、最新の調査(2019年)では80.8%もの人々が死刑制度を容認しています。政府はこれを最大の根拠にしています。ですから「世論」に拘泥する限り、この制度に関する議論は深まらないだろうし廃止など決してありえないだろうと感じました。

以下の表は2020年1月17日付 朝日新聞からの引用

 

 そこで、死刑を廃止した国々のその経緯を調べてみました。世論を根拠にして廃止した国などないだろうと直感していたからです。同時に死刑制度を廃止したのは戦後で(1945年以降)、それまでは万国一様に死刑を定めていたものと思い込んでいました。ですから、6月ビラの原案には「戦前までは世界中の全ての国が死刑を行なっていました。死刑のない国などなかったはずです。」と自信をもって書いてしまったのです。 ところが、それを読んだ「そばの会」の仲間から「ほんとにそうかな?」と疑問を投げられたのです。実は、そう断じたのは調査した結果ではなく、(恥ずかしながら)私の単なる思い込みであることに気づかされたのです。
 急遽、実際に調査した結果、約11カ国が戦前(1945年以前)から死刑を執行していませんでした。それは以下の国々です。()内は死刑廃止年です(Amnesty Internationalの調査)。 
コスタリカ(1877)、アイスランド (1928)、ポルトガル (1867)、サンマリノ(1848)、スウェーデン (1921)、 スイス (1942)、ウルグアイ (1907)、ベネズエラ (1863)、 コロンビア(1910)、ノルウェイ (1905)、パナマ (1903)

 いずれにしろ、これらの国々は議会等を通じて法律もしくは憲法に明記することで死刑制度を廃止してきました。世論を重視したからというわけではありません。戦後は多くの国々が死刑制度を廃止してきましたが、いずれの場合も人道的な観点から議会で議論され法制化されています。先ず、多数の世論が廃止を要求し、その結果廃止になったというパターンは今のところ見つけることはできません。これからも調査していきたいと思いますが、あったとしても少数なのではないでしょうか。
 この国の政府が「世論」を盾にとるのは、政府自らが死刑制度を維持したいからであろうと思います。人々に対して(政府が)生殺与奪の権を握るということは、絶対的な支配力や権力を持っていることの証しであり、それを誇示することで支配力をさらに強めようとすることに他なりません。そういう意味でも、絶対に手放したくない「権利」なのでしょう。誘導的な設問にしてでも世論調査を続け、それを根拠にしたい理由はそこにあるのかもしれません。
 いずれにしろ、諸外国が死刑制度を廃止した経緯や植民地支配との関連などをもっと調べる必要があるものと、いまさらながらに痛感しました。(T.K)

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今月の余談(2024年2月17日)

 そばの会、2月のビラまきは17日(土)午後4時からでした。
 開始まもなくご高齢とおぼしき女性の方から声をかけられ、「今日は少ないのね」と言われました。確かに、この日は遅れる方もおり開始当初の人数は充分ではありませんでした。それにしても、私たちは月1回しか登場していないのですが、よく見てくれているものだなと感心しました。ビラまきの効果は受け取ってもらえるビラの数だけで決められるものではないとつくづく思いました。                 また、終了直前の5時20分ごろのことでした。今度は20代の若者が私の目の前に現れました。そして私を見つめ、「かわい~い」と叫んだのです。私は一瞬動揺しました。まさか高齢の私が、と耳を疑いました。まあ、悪い気分はしなかったのですが、それは私の誤解であることに直ぐ気付きました。というのも、彼の視線は私の顔ではなく、私が着用していたゼッケンにあったからです。「そばの会」宣伝用のゼッケンだったのですが、そこにはバンクシーの絵も描かれていました。何のことはない、彼はこのバンクシーの絵を見て「かわい~い」と叫んだだけだったのです。究極の誤解でした。   その後、彼は待っていた2人の若者の所に戻っていきました。

 しかし、話はこれでおしまいというわけではありません。
ほどなくその若者が再び私の所にやってきて「ビラまきを手伝います」と言うのです。半信半疑の私は面白半分かなと思いつつも、10数枚のビラを渡しました。すると、本当に配り始めたのです。近くにいた高校生らしき2人が受け取り、通りすがりの方々にビラを差し出してくれているのです。ちゃんとやってくれているのです。
 ただ、残念なことにこちらの終了時間がきてしまいました。そこでその旨を告げ、もちろんお礼も述べて労をねぎらいました。若者は手元に残っていた2~3枚のビラを私に返そうとしたので、折角ですからと、手土産代わりに持って帰っていただきました。

 なお、この日は他にも50代と自称する上から目線の男性にも話しかけられました。ご高説は拝聴しましたので、ご満悦だったようです。
 と言うことで、この日は「余談」を語るにふさわしい一日となりました。(T.K)