2025年1月11日(土)
午後4時~5時半頃
この集まりは、1996年年末の死刑執行を受け、本当にこれ以上執行させたくないそのために私たちに何ができるだろうか、と話し合う中から、うまれました。
さまざまな地域の方々が地道に(ときには派手なパフォーマンスも含め)それぞれ創意工夫をこらして運動を展開している、そのスタイルを見習いながら、私たちは処刑場を持つ東京拘置所周辺の地域運動として死刑廃止の声をあげていこうと思いました。
しかし「死刑廃止」を前提とすると、これからいっしょに考えていけるかもしれない人たちとの回路を閉ざしてしまいそうで「死刑について考える」会としたものです。
また、私たちの中にも、いきなり「廃止」とは呼びかけづらい、せめて「考える」ということであれば・・・という仲間もいます。
そして、綾瀬駅前でビラを配ることから始め、執行に抗議するデモや地域ビラ入れ、ミニ集会などを重ねてきました。
ビラ配布後にミーティングをもち、反省や次回の日程・ビラの内容等を相談していますので、意見や提案などもお待ちしています。
どうぞ、気軽に声をかけてください。
※X(Twitter)も行っていますので、こちらもよろしくお願いします。https://twitter.com/AyaseSobanokai
「死刑制度廃止」への道
2024年9月26日無罪判決がでた袴田厳さんのことは新聞、テレビ他マスコミでも大きく取り上げられ10月8日には畝本検事総長が控訴を断念すると発表し、控訴期限の10月10日無罪が確定した。袴田さんの逮捕から再審無罪まで58年、冤罪で「死刑判決」が下され2014年の仮釈放まで48年の在監というとてつもない年月の長さだ。その間の袴田さんの苦しみ、絶望、恐怖、怒りは想像を絶するものがある。人の一生の輝かしい日々が暗く閉ざされた監獄という独居空間に押し込められたのだ。
検事総長の発表で謝罪がないことが問題になっているが、謝って済むというだけではない。過ぎ去った日々は帰ってこないのだ。親は亡くなり大事な人も消え去る。袴田さんは幸いなことに、まだご健勝だけど道半ばで生命を絶やしてしまう人、死刑執行されてしまう人も多くいるのだ。なぜ、このような理不尽なことが起こるのか!国家の重大な犯罪行為だ。
死刑制度は、なぜ廃止されるべきか?(日本弁護士連合会ホームページ、パンフレットを参照)
(1)生命の価値は絶対であり、国家であっても個人の生命を奪うことは許されません(死刑は生命を剥奪するという刑罰であり、国家による重大かつ深刻な人権侵害です)
(2)誤判により死刑判決を受けた人に対して死刑が執行されてしまうと、取り返しがつきません。(人が行う以上、誤判.冤罪を否定することはできません。)
(3)「人は変わり得る」との考え方に立った寛容と共生の社会が目指されるべきです(死刑は罪を犯した人の更正と社会復帰の可能性を奪ってしまいます。)
死刑廃止の問題は国内における刑罰の問題にとどまらず国連他関連機関からも再三日本に勧告されている。
死刑を廃止すると被害者遺族の処罰感情に報いることが出来ない…と言われる。応報感情は支援、社会的救済、損害賠償という言葉だけでは簡単に片付けられる問題ではないだろう…とは思う。しかし、色々ある死刑廃止の問題点を考慮するにしても前提になるべきは生命の平等性、人権の平等性であり、誰もが存続の同一価値を有し尊ばれるものであること。加害者であろうと被害者(遺族)であろうと…。
犯罪加害者の少年、青年世代が「自分は生まれてくるべきではなかった…」、「死刑でいいです…」などの言葉を発しているのを聞くと何ともいえない気持ちの重さに陥る。
あなたのせいではないよ!あなただけが悪いわけじゃない!あなたの親、友達、学校、社会等々は何をした!責任はないのか、無視しただけではないのか!みな繋がっているんだ。その苦しみ、悲しみは計り知れない。
生命の価値は絶対であり、国家であっても己自身であっても個人の生命を奪うことは許されないのだ!(T)